私の足-子供時代から
2017/10/12
大人までの足と靴の話
1話目/5話
私が一番最初に足の痛みが気になり始めたのは小学校1年生のころ。3歳からクラシックバレエを習っていて、トウシューズを履きつま先立ちで踊っていた時です。
トウシューズを履くときには足にストッキングをぐるぐる巻いてから履きます。当時先生からは履き方の簡単なアドバイスはもらいましたが、つま先に巻いた時の足指の位置や力の入れ方、足首の動きについては詳しく習いませんでした。
初めて立った時は指が押し込められ、なぜ痛いのに大人の女性はこれで立って踊れるのか不思議に思っていました。
先生が怖くてあまり痛いとも言えず、先輩からはそのうち痛くなくなると言われたので、そういうものかと思い練習していました。
子供のころから背が高かったので、足もそれなりに大きく、小学5年くらいで大人と同じ位の身長と足の大きさになっていました。先生にも、もうこれ以上大きいトゥーシューズは無いのよねと言われ、足が大きいと履くものがないのだと思うようになりました。
中学生になると、サブリナパンツにカッターシューズが流行っていて、つま先が尖った形の靴を履いていました。この時に「つま先が当るなー」と思った記憶があります。この頃はまだ私の足でも履けるサイズがありました。
高校生になって制服にローファーやデッキシューズを履くようになりました。このころはもう24.5cmがキツイ感じになっていました。ローファーは合成皮革の安いもの。アルバイトをして初めて買ったリーガルの白と紺と赤のデッキシューズはお気に入りでした。コンバースも流行ってました。張り切って買った白のバスケットシューズがすぐに盗まれてしまった苦い経験を思い出します。
短大生になるといろんなアルバイトをするようになり、制服によってはハイヒールを履いて一日立つ仕事をしていました。もう既に24.5センチはキツくなっていたのですが、パンプスは24.5までしか売っていませんので、多少きつくてもそれを履いていました。
アルバイトは掛け持ちしたりして、ファーストフードでも働き、立ち仕事が多く若いうちからキツイ靴を長時間履いて立ち仕事をしていたのだと思います。
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就職して初めに着いた仕事は事務機メーカーの営業アシスタントでした。
ここでは新製品の普及のため北海道の主要都市を回るお仕事を担当。
商品説明のためここでも立ち仕事。さらに市内でも企業を訪問するために歩き回る日々。車ではなく電車で移動し、かなりの距離を歩きました。
当時、徒歩の移動中に突然、親指の付け根に激痛が走り歩けなくなりました。足の親指ゆびを動かせないほどで、しばらく公園のベンチで休み、やっとのことで会社へ戻ったのをはっきり覚えています。
「外反母趾」という言葉が言われ始めた頃だと思います。しばらくすれば治ると思い整形外科には行きませんでした。私の足が大きいから靴の中で足が窮屈になり、それで痛くなっただけと思っていました。
今思うと、こんなことを繰り返していたから血流が悪くなり、脚がゆがんでヒザ下O脚、冷えて足が太くなったんだと思います。たまに足ゆびが痛くなることがあると、つま先が楽な幅の広い靴に変えて一時は4Eの3センチヒールを履いていました。
その後しばらく事務系の職種に就き、数年間は足のことは気にならない日々を過ごしましたが、その後、住宅販売の仕事に就いたときに痛みが再発しました。
チラシのポスティング、お客様のお宅への訪問、住宅展示場と会社との往復などで相当な距離を毎日歩きました。日中だけでなく、お客様が仕事から帰宅した後にご相談ということもありましたので夜も歩きました。大人になってから一番体重が減った時期かもしれません(笑)
休日出勤は当たり前、夜も12時頃まで図面とにらめっこしていて、この時期はさすがに体調をくずしました。体調がすぐれず足も痛くなるようになってから、カラダについて考えるようになりました。精神的にも疲れて、少し休む期間が必要と思い、主人の協力を得てしばらく働かずゆっくり過ごすことにしました。